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トリオフォー&素人の乱シランプリそして場所っプ山下陽光の日記bashop77@yahoo.co.jp

【北中大学】7月3日高円寺に住んでいた宮武外骨の家まで散歩してきたよー

2011年07月04日 08時35分29秒 | 場所っプ
宮武外骨が高円寺に住んでいた!
というので、調べまくったら、杉並区高円寺北3-194
当時の地図と今の地図を合わせながら見ると、2011年4月10日に素人の乱がやった「原発やめろデモ!!!!!」の
コースに宮武外骨の家が入ってる!
今、自分が居る場所の先祖をたどる旅はとても面白い。
そう思って、いろいろ調べて無理やりつなげる急カーブでハンドルを切ろう。
日本に原子力発電所を持ち込んだ正力松太郎が警察官だった時に、米の値段が急騰して、それに問題を感じた宮武外骨が、
朝日新聞に「米の値段急騰につき日比谷公園に集まれ」と集会を呼びかける広告を出した。
それを見た正力松太郎が、宮武外骨が呼びかけたら、人が集まりすぎるのを危惧して、外骨に外出禁止令を出す。
しかし、外骨が来ると思って群集は集まり、いつまでたっても来ない外骨にイラついた群集らが、その辺の米屋を燃やしたり、
金持ちの家を破壊しまくったりした。これが、東京で起こった米騒動のきっかけになったようだ。

関東大震災の後で、宮武外骨は圧倒的な速さで、震災画報を作り始めた。行方不明になった人を探す張り紙が上野公園の
西郷隆盛像に貼られた。その様子を外骨は震災画報でスケッチしている。

その時「朝鮮人が井戸に毒をまいた」などのデマが出回る。

今回の震災と原発事故がそのままつながってる。

あれ、こんなことを書きたかったんじゃないので、さらに恐ろしく無理やり急カーブ。
例えば、高円寺で開催された素人の乱主催の原発やめろデモ!!!で俺は司会をやったんですが、
中央公園にものすごい人数が集まって、集会が終わって、これからデモが始まるという時に、
松本哉が突如居なくなったんです。その時に、宮武外骨→米高い→集会広告→正力ビビル→外骨を外出禁止
この絵が一瞬で浮かんだんです。
これはマズイ、大きすぎる力が働いている&ココにいる人たちが暴動起こしたら大変だ!
と一人で大きすぎる心配をしてたんですが、松本哉は見たいバンドがあったらしく、誰よりも早くサウンドカーにへばりついて
いただけだったそうです。

平成の宮武外骨とか言ってる奴らは死んじまぇ!と思うんですが、この勝手な接点の宮武外骨と松本哉との奇妙な
つながりは。平成の宮武外骨と言っても過言じゃないかもしれません!死にます&ウソです。
過激にして愛嬌あり!
そりゃぁ影響受けないわけにはいかなくて、誰もがみんなわかりやすくカッコいい部分に影響を受けるけど、
俺はそうじゃなくて、宮武外骨が出していた日刊不二という新聞に影響を受けて、過激とかじゃなくて、地味に
毎日新聞を出すってのがすごいんじゃないかと思って友人らと日刊NOPPIN新聞というのを発行していた。
300号位出したあたりで、毎日出すのも大変だし、何よりも読者が居ない事に気づいてあっさりとやめてしまったけれど、
外骨しかり、色んな事しかりで、みんなわかりやすい事に影響受けすぎで、外骨に関しては赤瀬川原平がしゃぶりつくした
後で、何一つ残ってないけれど、高円寺に宮武外骨が住んでいたということは、まだ誰もしゃぶってないし、知らない人が
ほとんどだろう。
もう、マジで、こういう事を仕事にするしかないとすら思えてくるような楽しさと、
まったくたいしたこと無いかもしれないけれど、温度と熱がハンパなくあるので、たいしたことあるように
伝える自信だけがあるから、誰かお金下さい!もうマジでお金もらわないといかんレベルなのでコレは!


で、図書館で宮武外骨の本を調べていたら、高円寺に住んでいた頃の宮武外骨の事が書かれた文章が見つかった。
宮武外骨の弟子の井上和雄の娘の井上歌子と井上美子が書いた
「杉並高円寺の外骨先生」(宮武外骨此中にあり26P340)


高円寺の駅に降り立ったときに、足もとから寒さが這い上がってくるようでした。母と女学校一年の姉、そして私はランドセル
を背にした国民学校の五年生で、防空頭巾を背負い、わずかな荷物を手にした親子でした。駅前商店街はどの店も半ば閉店のような有り様で、映画館のポスターも淋しげでした。青梅街道を横切り、寺の角を曲がると、そのあたりは閑静な住宅街でした。
百米ほどの処を左に曲がり、佐藤さんという家の隣が宮武外骨先生の自宅でした。


どうですか、コレ!詳細な場所書いてあるっしょ<そんで寺に行って、宮武外骨しっとるけ?って聞いたら知らなくて、この
佐藤さんって家ありますか?って聞いたら、隣よ!と見たら表札佐藤さん!
佐藤さんは昔から住んでるらしく、ピンポン押したけど出てこない!
ギャンス!
で、こんな感じの場所を炎天下の日曜日に18名の参加者と歩いたんですが、とにかく暑くて厚くて熱い!
で、打ち上げやって家に帰って来て資料を読み直してたら、

井上和雄の杉並日記(宮武外骨此中にあり26P333)
昭和19年12月8日
午後3時頃 令夫人より隣家(佐藤正義氏宅)に電話の取次ぎあり行きて受話するに(略)

おい!コラ!隣の佐藤さんと交流あるやんけ!しかもフルネーム!たまらんよ!繋がったよ!
さすがに存命ではないだろうけど、息子さんか娘さんが住んでるだろうから、当時の事が聞けるぜよ!
この繋がる感じがたまらんすよ!

というわけで、本当は、もっともっとたくさん書きたいんですが、ちょいと疲れたので、また今度!
よし、寝ます。

ありがとうございました

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